インタビューとは 中田英ラトビア戦後を考える

先日のラトビア戦後のキャプテン中田のインタビューを見て、個人的にはインタビュアー(インタビュアーとはおよそ呼べないが)の質問のくだらなさにまたテレ朝やっちゃったなぁというのと、それに対する中田の厳しさに笑ってしまった。
その件について、中田自身へのメールや苦情もあったと公式サイトにかいてある。http://www.nakata.net/jp/hidesmail/hml254.htm
一つ言っておく。
インタビューは一種の「芸」である。
中田がここで書いていることは、はっきり言おう。正しい事である。
100%支持します。だって当たり前の事なのだから。
そもそも、インタビューっていうのは受ける人とする人の信頼関係ができなければ本来は成り立たないものである。
質問の仕方・知識から導き出す質問者の見解や引き出し方がよくないと受ける人は????何言ってんの、何を聞きたいの?この人、にしかならない。そうなると受ける側はせっかく時間を取って話してるのに、なんだこれ?時間の無駄では?と思ってしまう。それはプロフェッショナルな人であればあるほど、そう感じるものである。
正直当たり障りのない事しかないのであれば、別にその人でなくてもいいわけです。
ちなみに欧州、アメリカのインタビュアーはきちんとインタビューをする事について勉強し、「考察」した上でインタビューをする。又、引き出そうとする「引き出し」は多い。
インタビューする人からどれだけ「引き出せる」のか、「答えを見つける」のか、これはもう「力量」である。これは一種の「センス」も必要であり「技術」とも言える。日本にもそういう人はたくさんいるだろう。しかし、極少数だ。又、日本の大部分のインタビュアーはサラリーマンでかつ素人である。欧米は「個」の社会でできない人はその「地位」にはとどまれない。だからこそ、インタビュアーもプロであろうとする。
信頼がひとたび生まれると受ける側も「ノってくる」し、思わぬことを引き出せる事もある。これはインタビューする側の醍醐味である。
ちなみに私は記者ではないが、インタビューをしたことも、受けたことも経験として何度もある。だからこそ、言い切れます。
あんな「三流」のインタビューで印象を悪くしたとか言ってるようなマスコミや聴取者がいるのならば、その人たちに向けて答える必要はない。なぜなら、話したとしても理解できないからである。
又、あのインタビューで中田は充分に「大人の対応」をしている。端的にいうと、インタビュアーのくだらない質問に最大限「付き合って」いるからだ。それすら分からない人が多いのには、正直言ってびっくりしている。
個人的に再度言わせて貰えば、あれは中田が悪いわけではない。
非はインタビュアーにあるのだ。
プロフェッショナルだから、きちんと受け答えをすべきだという意見があるならば、まずインタビュアーもプロフェッショナルである必要性がある。そこで信頼関係ができて、初めて成り立つのが「プロフェッショナルのインタビュー」である。
今のお手軽アナウンサーにそんなことははっきり言ってできない。
インタビューはだからこそ、「芸事」に通じる。
それはとても「クリエイティヴ」なものなのだ。
生放送で時間がないのにも関わらず、あんなインタビューしかできなかったのは明らかに「手落ち」である。
そのことをきちんと今一度考えていただきたいものである。


2 Comments

  1. SECRET: 0
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    でも思うのですが、インタビューって記事になるものと、そのまま映像として配信されるものとに二分されますよね。あの場合中田選手は映像として配信されると勿論知っていたわけですよね(カメラあるわけだし)。だからインタビュアに対して理解させること以上にカメラの向こう側にいる視聴者に向けてのメッセージを発すればよかったわけで、ムリにレベルの低いインタビュアに合わせる必要もない気がするのですが。これだけインタビューを受けてきた頭の良い中田選手ならばそれくらいこなしてくれてもよさそうなのですが・・・。
    あとあの態度はどうかと思いました。あれについてはどうお考えですか??

  2. SECRET: 0
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    私はあれについてはあわせる必要はないと思いました。
    頭がいいとか良くないとはではなく、基本的に質問が?でしたし、戦った後の選手をあのインタビューは冒涜しているようにも見えました。
    一体何を聞きたいの?試合の何処を何を見ていたの?君はどうしたいの?と。
    とするとせっかくインタビューを受けるのに、何それ?みたいな、怒りや諦めが感情として湧き出てきたのではないでしょうか?しかしながら、インタビューを受けているの「無碍」にもできない。だから、聴く姿勢は崩してなかったし、付き合ってもいた。
    これは擁護的な発言かもしれませんが、あの態度はインタビュアーに気づかせるためのものでもあったんじゃないですかね?
    単に映像として残るから、じゃあ、無難にこなそうと考えるのは多分日本人的だと思います。海外の価値観(というか向こうで生活している)中田にとってはスタンダードとしてああいう態度にでたのではないかとも思ってます。それは彼がプロだから答える時も真剣に向かうという事もあると思うんですよ。
    私は中田自身を特別にみてないんです。中田だから、というのは正直言って
    ないです。私はあのインタビューの中に中田の「人間性」と「プロとしての意識」をみました。
    視聴者に向かってというのは、なかなか今までのことを考えると難しいんじゃないですかね?そこまでできれば、確かにたいしたものかもしれませんが、彼はエンターティナーではなく、それはできないと思っているかもしれません。
    一方でマルディーニのようにいついかなる時でも冷静に対処できるある意味本当の「プロフェッショナル」というプレイヤーが世のジョカトーレ全員であれば、確かに気持ちいいとおもうんですけどね。それはなかなかないでしょうね。
    コメントありがとうございました。

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