早朝 ニ 我 想フ

ふと思う事がある。
一人を笑顔に幸せにできないような奴が、みんなの笑顔を
させるようなものを作る事ができるのか。
なんだかんだと言葉を並べても、それは実は虚勢や虚像の中に
自分を見せて自分勝手に物事の前にいるだけなんじゃないのか、と。
本当の自分はものすごく薄っぺらいわかったような気でいる
ちっぽけな存在であるんじゃないのだろうか、と。
だからこそ色々なものに対して興味を持つことで、
何かを探してわかろうとするのではないのか
大部分は楽しくても実は知らない事の恐ろしさや怖さという感情がその思いを突き動かしているのではないか
ふと真夜中自分の時間になって考える
私はたいした人間でもなんでもない
そんな自分が人に対して何かをいう事が本当にいいのだろうか、と。
今なんだか打ちのめされているのかもしれない。
たくさんの物事を考えすぎているせいかもしれない。
だからこそ、立ち止まっているのではなく、前に進んでいく事もわかっている。悩んでいるのでも、迷っているのでもない。
ものすごく明確で輪郭をもった自分もココにいる。
仕事もとても手探りであっても順調だ。
でも、こんな事を考えてしまう。
きっと人が人であるゆえんの想いなのかもしれない。
それは批判も賞賛も悲観も歓喜もすべてを受け入れる覚悟であり、決意であり、責任でもある
それがプロフェッショナルだと私は思っている
このモヤモヤ感はずっと人生において続くのかもしれない。
光の射すほうへ進み
光に溶けゆくその先に
自分を見出す事ができるのだろうか
きっとそんなものはわからないのだろう
だからこそ私は前に進む
新しい路をつくるために、切り開くために
それはものすごくミニマムなものかもしれない
一人よがりなだけかもしれない
だがそれは私が私であるためのレーゾンデートルなのだろう
私はそんなたいした人間ではない
しかし、私は私でしかない
そんな人が何かを作り出せるのか
いや、だからこそ作り出すのだろう
私にしかできない事が・・・きっとあるはずだから
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そこまで向き合う必要はないかも知れない。
ただ 私にとってのCallingはこの路だとそう想っているから


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