容疑者Xの献身@サンシャイン劇場

演劇集団「キャラメルボックス」の舞台、「容疑者Xの献身」を先日みた。
東野圭吾の原作は直木賞を獲り、当時賞をいくつも受賞した作品である。
東野氏といえば 今やTV化されまくっている(笑) 時代の旗手みたいな作家だ。
また、昨年は福山雅治が主演で映画化もされ(ドラマは映画まで含めた話だったという事でそれはすごくいいプロデュースだと想いました)、そちらも大ヒットだったから知ってる人が多い話であると想う。
私も小説も映画もみているし、色々と考えされられた話である。
正直、前回のハーフタイムシアターでこの本を舞台化する、と知ったとき、びっくりした。これを舞台化するというのは随分前からあったらしいのだが、それでもなぜ、今なのか、と。
だが、舞台をみて、感じた。
いい意味で、やっぱりキャラメルボックスで「できる」「するべき」話だったんだな、と。
一番初めに読んだ時、なんとも救いようのない、哀しい話だと想った。
そして、色々な感情が混じり合い、なんともいわれぬ気持ちが続いた話でもある。 ただ、2度目を読んで、映画を見て、その思いが少し変わった。 確かに哀しい話だ。だが、それだけか?
石神にとって、それは「生」を「人」を感じる話ではなかったか、と。
日々の生活や葛藤から絶望になり、死を選ぼうとした石神。そんな彼を救った親子。
彼は靖子を愛していた。と同時に家族を愛した。
そこにある温かい「心」を愛した。それに(間接的に)触れたことで「生」を感じていた。
だからこそ、彼女を、この親子を、守らねばならない、と。
数学は論理的思考により、答えを導き出す学問だ。
彼は彼の天才的な論理的思考により、完璧な犯罪を実行すべく、自らも罪を犯した。
・・・すべてはうまくいく。そうなるはずだった。
だが、人は論理的思考の行動だけではない。
人は矛盾の固まりでもあるからだ。
湯川が靖子に明かした石神の完全なシナリオは、
とても彼女には耐えられるものではなかった。
他人を犠牲にまでして、自分たちは幸せには生きられない。
石神はそれでよかったはずなのに・・・。
人は生きているからこそ、感じて行動する。
正解であろうと、間違いであろうとすべてが論理では推し測れない。
生きているという事は、そういう事だ。
最後のシーン。
慟哭する石神はまさに「生」そのものだ。それは崇高であり、気高いとさえ感じられる。・・・そして、救えない。
だからこそ、湯川は他の人間には触るな、と言う。
今、彼は絶望のどん底を味わっているだろう。
しかし、それは生きているからこそ味わう感情でもある。
生を強烈に感じた彼はこの後も石神は生き続けると私は想う。
そして、紙と鉛筆さえあれば、研究は出来る。
彼は人を感じたが故に、生きることを選択しているのだと、そう願いたい。
だからこの話は本当に救いようのない話ではないのだと想う。
人が生きるために、そして愛するがゆえに、守りたいと強く想う意志の強さ。
そのためにここまでするのだというエネルギー。
ハッピーエンドではないが、最悪の結末ではない。
そして・・・彼は成功しているのだ。
靖子は恋愛感情ではないにしろ、石神のほうをはじめて向いたのだ。
彼を富樫と同じものを感じたりした事もあった。しかし、そうではなかった。彼の犯したこと。自らを犠牲にして自分を守るために行動したこと。それによって自分は幸せにはなれない。私も罪を償うことこそが今出来る自分の事だと気づかされたのは、石神の方に意識を向けた、という事だ。彼をきちんと見たからこそとった行動だと想う。
だとしたら。
やはり救いようのない話ではないのだろう。
舞台はそれを現していたと想う。素晴らしい舞台だった。
そして、最後に花瓶に生けてある花に照明があたっているのをみて、この花がたくさんのものを象徴しているのではないか、そう感じた。
綺麗なもの、美しいもの、生きているもの、与えるもの、慎ましいもの、
そして捧げるもの。
つまりは、愛・献身。
そんなメッセージが最後の花にこめられているような、そんな感じが思えた。
映画はカット割や舞台をかえられることによって、映像だけではなく、そこに様々なものを含ませることができる。実際、最近の邦画においてはすごくよくできた映画だったし、感銘も受けた。
だが、舞台ではそれはできない。
舞台上での場面の転換、役者の演技、会場の雰囲気。そこで感じられるものはダイレクトに伝わるし、そこで完結させなければいけない。映画化のあとの舞台化故にそれは相当大変な事だったのではないか、とすら思えた。
だからこそ、舞台には舞台の醍醐味がある。
その醍醐味を感じさせてくれた舞台だったし、本当にストレートに創り上げられた舞台だった。
やっぱり、キャラメルボックスの舞台はいい。
彼らの興行は入った瞬間からはじまっているぐらいにプロフェッショナルを感じさせてくれる。
終わったあとも、会場を出た後の余韻も、すべてが大きな舞台の中にある。
そういうものを是非、感じて欲しい。
舞台は本当にいいですよ。


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