Steely dan「Gaucho」を聴いて。

久し振りにスティーリー・ダンの「Gaucho」を聞いている。
彩(aja)はまだ比較的に聞くのだけど。
彼らもMichael Jacksonとは違った意味での「神」の一人(2人?)だ。
確かにMichaelと同じで完璧主義者なので、同じなのかもしれないけれど。
彼らは音の一つ一つにまで拘っている。レコーディングの際に拘るのは当たり前で、
オリジナルメンバーだった人間よりも外のスタジオミュージシャンに演奏してもらうのが
途中から当たり前になってしまったり(個人的にはだからドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーこそがSteely danなのだが)。作業のためにスタジオを1年中押さえる、なんてのもざらにあった。
(もちろんロックアウトしているのだから制作費がその分、かかる)
今聞いているのは2001年にリリースされている紙ジャケット仕様のCDである。
日本では2000年にGaucho以外のアルバムがリマスタリングされ、紙ジャケットでリリースされた
のだけど(すぐに完売した)「彩」は先にアメリカ初回プレスの音が気に入らなかったみたいで、またマスタリングをやり直した(日本版は最終のものらしい)。
確かに、残念なのだけれど、プレスで音が変わってしまう。
スタジオで制作してマスタリングでマスターを作ったとしても、プレスによって音が変わってしまう事は「必然」である。これはとてもジレンマであるのは間違いない。
(故に、マスタリングする際に、どこのプレス会社でプレスをするのかも視野に入れて作業してもらったり・・・)
もちろん、単に音の良し悪しだけではそうはならないが、
そうして拘りぬかれたサウンドは、時代を超える。
このGauchoはオリジナルのリリースが1980年。約30年も前の作品である。
しかしこの音の新鮮さ、聴く度に新しい発見がある。
スティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲンのアルバムはほぼすべてそう言えるようなアルバムである。
ドナルド・フェイゲンの「The Nightfly」は特にそう思う。
なんだか最近、そういう音楽が少なくなってきているのでは、と改めて思う。
今、自分の購入した昔のCDを聴き直しているのだけど、
何千枚もあるので、選ぶのはどうしてもそういう「時代を超えた」ものを選ぶ事が多い。
いつまでも残りうる音楽は本当に理想である。
今、彼らはツアーを行っていて、昔のアルバムにプラスした選曲でライヴを行っている(どうやら曲順どおりに演奏しているらしく、それは感涙ものだったり。また、ネットからチケットを購入したお客さんからリクエストを募って構成するInternet Request Nightも行ってます。ちなみに明日9月1日はシカゴでGaucho(Plus) Nightらしい。あと数箇所でラリー・カールトンが今回ゲストとして演奏しているのも話題。
2007年のビルボードライヴの杮落としには結局忙しすぎていけなかったですから、見たいですが
彼らの現時点最後のオリジナルアルバムは2003年の「Everything Must Go」。
これだけ継続して活動しているので、そろそろ新しい「音」が聞きたいものですが。

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