ヘイゼルの悲劇

フットボール史において、忘れることのできない事件がこの日
にありました。
1985年チャンピオンズリーグ決勝戦
リヴァプール対ユベントス
場所はブリュッセルのヘイゼル・スタジアム
いわゆる「ヘイゼルの悲劇」といわれた事件です。
その背景などを詳しく書くとかなり長くなるので、割愛しますが、
両サポーターがちょっとした事から小競り合いとなり喧嘩に発展しました。一応金網は張ってあったらしいのですが、そんなものはお構いナシとリヴァプールサポーターがユベントス側に移動したり襲撃するような事態になってしまい、混乱したユーべサポは逃げるために塀などによじ登りました。老朽化していた競技場のその壁は重量オーバーになり、観客ごと崩壊しました・・・
結果、多くの人が下敷きになり、死者39名、負傷者400名にものぼりました。それでも、暴徒化する観客(主にリヴァプールサポ)は両チームのキャプテンも出てきて沈静化しようとしてもおさまらず試合すらできない状況にもなりました。ちなみにフーリガンがイングランドの代名詞になってしまったのは、この試合が決定的なものとなってます。
主催者側は試合中止も考えたものの、中止にすればさらにこの騒ぎが拡大するとの判断で、試合は開始時間を遅らせて決行され、ユベントスが1-0で勝利しました。
ユベントスにとってははじめての栄冠ではあったものの、誰も喜べない勝利であり、ユベントスはこれ以降ホームゲーム剥奪と罰金、そしてEnglandのチームはヨーロッパのカップ戦を無期限出場停止(その後5年で解除)となりました。
そして主催のベルギーはその後10年の決勝戦の権利を剥奪とヘイゼルスタジアムは国際試合を永久に禁止されることになりました。
その後、スタジアムの安全確認警備の徹底やアルコールやビン類の持込を禁止したり、と今普通になっていることの発端になりました。
フットボール史上忘れることのできないこの事件。
ヘイゼルの悲劇がこの日に起こりました。
その後、イングランドにはヒルズボロの悲劇というまたもや最悪の悲劇が起こることになるのですが・・・(死者97人・・・)


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