4月29日。

4月29日は親父の命日でした。

母親に任せてしまって実家の鹿児島にも帰ってないし、
いつ死んだかのすら覚えてなくて確認し直したとか本当に親不孝なダメ息子です。
2005年だからもうまる10年になるんですね。今回はちゃんとメモしました(苦笑

正直仲はよくありませんでした。というか息子によくありがちな反発だったかもしれません。

酒が本当に好きな父親でした。というかアル中?なぐらい飲んでましたね。
私は基本的には酒を普段ほぼ飲まないし、飲みの席でも最終的には人の話を聴くことが多いので、深い時間になると自分がしゃべらないと眠る事が多いです(笑、まぁ普段から寝てないせいもあります)が、羽目を外したり記憶がなくなったこととかはありません。多分それを反面教師にしていると今でも思ってます。どこかでセーブしてるんですね。酒の席はもちろん楽しいので好きなんですけど。

それでもとても実直で、真面目で、人柄のよい父親でした。小さいころから家にお客さんをたくさんつれて酒盛りしてましたね。気前もよかったと思います。だからこそ母親も最期まで一緒に居てくれたんだと思います。他人にとってはいい人でも身内からしたら酒飲んで転んで怪我して帰ってきたり、お酒がなければね、とは思いつつ、お酒があるからこそ…だったのかもしれません。
本当に最期までお酒が大好きで、ほんとどうしようもない人でしたが、定年まできちんとした上場企業で働き、定年後は退職金で実家を建て替えて、鹿児島に戻って悠々自適に暮らしていました。最終的には母親に家を残した父親。今は本当に感謝しているし尊敬しています。
最後病院で奇跡的に元気になった3日間に話した事今でも忘れてません。

亡くなったのはいつだったか、と調べている時に10年ぐらい前のものをたくさん読み返してみました。そして、やはり大したことでなくても残してある文章って大事だなと思ったりもします。やっぱり息子なんで色々な局面で思い出したりもするんですよね。父親というものはいつだって襟を正してくれる、そんな存在なのかもしれません。

両親からは父親が結婚した年までには結婚しろなんてよく言われましたが、もうとっくに超えてますね(笑

今は正直本当に親不孝な子供だと思います。

 
ちゃんと生きよう。