琢磨 リタイヤで残したもの。

F1 ヨーロッパGPにおいて、佐藤琢磨がリタイヤとなった。
予選2位からスタートし、イン側という事で路面が悪く、幾分かのホイールスピンをして若干遅れた。しかしながら、2位~4位をずっとキープしつつ(一時はコントロールラインをまたぎ、記録上一時トップを走っている。)、3回目のピットアウト後に「強引」にオーバーテイクしようとして2位バリチェロと接触。フロントウイングを破損。交換後数週でリタイヤする。
元々、彼はこういう事をしでかす。こわしたり、強引にいってリタイヤなど・・・。今回、明らかに彼の方が速い為、ズバっといこうとした。が、失敗した。彼はいけると思った。しかし、バリチェロは見てなかった。バリチェロがミラーを見てないとかそういうのは関係ない。そこは未熟なものであり、足りないものであろう。普通に観ても、そのタイミングで・・・と思ってしまった。
なんだ!と思う人もいるだろう。
だがここで言いたい。彼はモナコのスタートでシューマッハとあたっても、今回のバリチェロにしても、間違いなく彼は「対等」な立場で戦っているということである。
安易に3位を守るよりも、2位を狙って行こうとする姿勢。
それはTOPになるためには必要なことなのである。
上に上がる「モノ」は充分に持っている。今はその過程に過ぎないと感じた。
だからこそ、インタビュアーなんかも琢磨に対して「皇帝」シューマッハーの後ろですが、なぞとレベルの低い事はいって欲しくない。もちろん、視聴者を意識して「ニックネーム」を付け覚えさせる要素が強いのはわかる。だが、走っている彼らは”対等”なのだ。皇帝とかつまらない表現をドライバーインタビューにつける必要性はない。彼ら間でのリスペクトはあるだろう。しかし、F1ドライバー”ミハエル・シューマッハ”であり、”佐藤琢磨”なのである。そこをマスコミはもうちょっと考えて欲しい。
シューはまた優勝し、今季6勝目。とんと面白くないシーズンになってきつつある。そしてバトンが3位に入った。本来ならここに琢磨が立っていたレースで「あった」。しかしながら、結果はそうではない。残念ではある。だが、許されるのは、今回のみ。もう次のレースではこれは許されない。次に結果が求められるだろう。
確かにこういう事も起こる。だが、速くなければ起こりえない出来事なのだ。今までの日本人ドライバーとは一線を画しているのはこの点である。
1990年日本GP以来の表彰台をという人はたくさんいる。しかし、あのレースの内容は戦って得たものではない。上位陣がどんどん潰れてくれた為に、その場所に「いけたに過ぎない」(これは亜久理さん本人も言っている。だが、それもレースであり、賞賛されるべき表彰台ではある事は間違いない。)レースだったという事は記憶して欲しい。今回のレースは戦って、負けたものである。
だからこそ、案外ホンダの久し振りの優勝はバトンではなく、琢磨のような気がする。
その時、私は真っ先にこのレースを思い出すだろう。
多くのドライバーが何か出来事が起こった後に飛躍していく、
そんな始まりの予感が、きっかけが益々するレースであったと思う。
まだ25歳。これからのドライバーなのだ。しかし、その才能はいまや確実に見えている。
これからなのだ。


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