日常の一幕

たいした事ではないんだが営団線の切符の自販機のフォント
がなにげに変わっていた。
明朝体からゴシック体へ(厳密には違うかも)
見慣れてない分違和感は感じるんだが確かに見えかたは全く違う。確かに以前と比較してゴシックの方が数字は小さいのだが、画一的で文字も太く万人に優しい感じが受ける。
これも配慮のひとつなんだろう。
デザインって一概にかっこよく見せればいいだけではない。もちろんアートや表現のみならばそれはアリだ。だが時として如何に機能的だったり見るものへの配慮に立ったデザインというのも必要な時がある。判りやすい例だとWebサイトなんかではそういうセンスが顕著にでる。
重い表示、無駄でなおかつSkipすらないフラッシュ、どこに何があるのか分からないデザイン。いきなり強制的に音楽が流れるサイトや見たい場所に「行き着かなければ」ならないサイト。
こういうサイトって結構多いし、そういうサイトは正直言って次にいきたくない。面白ければまた別の話だが。
目的と表現のバランス感覚を履き違えてる人が意外に多い。
それ一瞬でわかるのがセンスだと思います。
こういうの括弧いいからやってみようではなく括弧悪いものだと思わない人が意外にいる。
(もちろんデザイナーやそういうのを専門にしているところはOKです。それが目的なんだろうから)
余分なものは思い切って切り捨ててもいい。
情報を求めてくるユーザーに提供するのはあくまでも「情報」なんである。
集まってくる人は何が目的なのか、そこを重点において「モノ」を作らないといけないと常に言い聞かせている。「遊び」ももちろん必要だ。でも、それは「イベント」であって、「主」ではない。
そういうのが何も言わなくてもわかる人は私の周りには運良く沢山いるし、わからなくても私自身がその方向に向ければ済むだけだ。
だんだん話がずれてきた。
要は、日常のあふれたデザインも配慮によって生かされているものが結構あるんだという事をふと思ったしだいである(笑
最後にここまで携帯でうったおいらに拍手を送る(うそ)
*文章としては完成してないが、長くなるので無理やりに。


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